2014年4月25日金曜日

唯一の生き残り

以前エンゼルが全滅した記事を書いたが、実は一匹だけ生き残っていた稚魚が居た。
それはフレーク餌に移行する際に他より成長が遅く離隔して別にブラインシュリンプを与えていた固体だった。皮肉な事におそらく順当に他の魚が育っていたら選別され死んでいただろう。選別は残酷だが欠かせない作業である。
今ではその稚魚も元気に餌を食べ日に日に成長するようになった。元気なのは親のトリカラーエンゼル譲りだろう。その元気さも、背景に死んでいった魚を思うと複雑な気持ちになる。運命と言うのは無情なものだ、無駄と言えるほどとるに足らないことだろうが、この生き残りを死ぬまで世話しようと思う。


20150609追記

その後サテライトからジャンプして脱走して、他の大きなエンゼルにつつかれ死んでしまいました。
本気で大切にしたいという気持ちがもっと強ければ、きっとその事も考えて専用の水槽を用意できたかもしれません。
私の気持ちはその程度ということでしょう。
とはいえ、あの事件はトラウマであり、今でも鮮明に憶えています。日常の浅はかな考え、行動が失敗に繋がると。

ある言葉

テレビドラマで言っていたのだが
彼らには私の未熟さを見守って貰っていると言う言葉があった。
なるほど、と思った。特に意外とは思わなかったが、改めてそれに近い事を感じた。

普段思っていることは、悪く言えば実験台で居てもらっているということだ。
人間の都合もあって誕生し、一生を水槽の中で過ごし、見える世界は部屋の中と飼い主、同じ境遇の仲間。それが幸せか不幸かどう思っているかわからないが、完全に人間に支配されている。実験台と言っても何か施術するわけでは無い。ただ生物を観察しているだけ。どう管理すれば思い通りになるかとか、手を抜いたらやはり失敗するとか、やっぱり最後には死ぬとか。そういうことを学んでいる。
一方魚にとっては、訳もわからず生まれたが、ただ本能に従い生きようとしている。実験台であれなんであれ、衛生的な環境で健康に生きられれば、これ以上は望まないし、不幸によって自ら死にたいとは思わないと考えているかもしれない。


一つわかることがあって、水草がたくさん茂っているレイアウト水槽では魚たちは楽しそうで生き生きして動き回っていると言う事はある。他の魚も居たほうがよい事が多い。
2cmとかの小型の魚にとってはレイアウト水槽が天国に感じているかもしれない。ただ、6cmくらいのアピストや更に大きいエンゼルにとっては60cm水槽の狭く無機質な空間は退屈かもしれない。しょっちゅう子供を生んではいるが。
それと、スネークヘッドは、魚と思えないような知性を持っているように見えて、顔を近づけるとよって来るし、水換えをするとテンションが上がって餌に対しての興奮が普段より増す。テンションが低いときは餌にも反応しないし、顔を近づけても奥のほうにいってしまう。流木を入れたらまとわり付いている。おそらく環境の変化を楽しんでいるのだろう。

2014年4月8日火曜日

※観覧注意 頭部が癌化した魚

こちらもアピスト、ペアがそれ以外の魚を排除しようとし、逃げ回るときに継続的に壁に頭部をぶつけたため癌化したと思われる魚が居た。症状に気付いたのは、まだ元気で、追いやられているのを見て離隔した後だったが、対応が遅すぎた。元気ではあったが既に癌化が始まっており、日に日に大きくなり目が飛び出すようになり呼吸が荒くなっていた。体色も濃くなっていた。前の不随になった魚も濃くなっていた。生き餌にも反応しないほど放心状態であり、苦しいのかはわからないが、苦しそうであり、死ぬのは目に見えていたため、苦しみを断つため殺す事にした。頭部を切断、私も生きる事が出来なくなったら楽に死にたいものだ。